三陸紀行-1

会社内で「三陸鉄道の震災学習列車に乗ろう」という企画が出て、参加してきました。
帰ってきた後、あちこちから「存分に飲んだか?」と言われましたが、至極大真面目な、重たい旅でした。
いや、まあ飲むは飲みましたけどね。



南リアス線釜石駅に停車中の学習列車(先頭車両のみ)。いまや震災学習列車は、三鉄最大のヒット企画だそうです。
釜石駅は市街より一段高い所に立地していますが、津波が到達。車両流失こそ免れましたが3両が走行不能に。
4両がクウェートの支援により新造され、車体には感謝のメッセージが記されていました。
現地では「がんばろう」より「ありがとう」の文字を随分見かけました。自分、何もしてないよ…。



社員の方のお話を拝聴しつつ列車はゆっくり南下。入江(写真のさらに右)を望む三陸駅ホームにて黙祷。
左側にすっと立つポプラの木は、津波に耐え今も生きています。落葉樹は比較的塩害に強いのだとか。



綾里駅の観光案内板。海側の施設だけ綺麗に消されています。他の駅も同様でした。



高台には、復興住宅。トンネルの合間にリアス式海岸を見下ろす三鉄では、時に線路の両側で残酷なほど車窓が一変します。


三鉄の復旧費用は当初180億円と見込まれ、三鉄にその4分の1の負担が求められました。
その話を聞いた時、社員さんは「あ、国は三鉄を見捨てたんだな」と悟ったそうです。
しかし何としても復旧させるという岩手県の強い意志によりこの春、三鉄は自己負担ゼロで全線復旧を果たしました。
最終的な費用はほぼ半減の92億。青森駐屯の自衛隊が軌道内瓦礫の撤去作戦を敢行した事が大きかったそうです。



淡々とした社員さんの語りに耳を傾けるうち、あっという間に盛終着。JR大船渡線(盛〜気仙沼)はBRTによる仮復旧です。
今後の街作りを考えれば、自在にルート設定ができるBRTのままでも…と思っていましたが、現地に立つとまた違った気分に。
鉄道駅の構内にバスが乗り入れている違和感。隣の三鉄(そのまた隣の岩手開発鉄道)との歴然とした差。
理屈でも経済でもなく、復興のシンボルとして鉄路を復活させてほしい。そんな意見も分かる気がします。


大船渡線BRTは、盛を出ると線路敷を再整備した専用道路を走行。名古屋のガイドウェイバスとは異なり、鉄道信号はありません。
踏切には警報機が付いてますが、遮断機はBRT側に降りており、一旦停止後ゆっくりと通過します。
しばらく進むと専用道路はぷつりと切れ、海側の一般道へ。そのまま大船渡に到着し下車。
ここも"駅"と称してますが、道路上の普通のバス停とほとんど変わらぬたたずまいです。


本物の大船渡駅は現在どうなっているかと言えば…

更地。


大船渡ではガイドさんに来て頂き、かさ上げ工事の進む駅周辺を歩きました。
仮設商店街もいくつか建っていましたが、率直に言ってお客さんの入りは…。
店を流された商店主さんにとっては大切な店ですが、既に国道沿いには真新しい店舗が並んでいます。
釜石では港の岸壁に、巨大なイオンモールがオープンしていました。


家や店を流された人、流されなかった人、建て直せた人、それぞれにそれぞれの生活ペースがあります。
その落差と言うか、格差は、今後ますます大きな課題となっていくような気がします。


ガイドさんに連れられて高台の神社へ。

見覚えのある光景。あの日の夜、NHKニュースで流れた押し流される街の映像は、ここで撮ったものでした。
すぐ下に通じる道は国道45号。過去の経験から大船渡の人たちは「JR線を越えて波が来る事はあり得ない」と信じていたそうです。
しかし津波はJRを易々と超え、渋滞していた国道を呑み込みました。


三陸に暮らす人々は、津波の恐ろしさを理解していたはずです。それでも多くの命が失われました。
「ここまでは来ないだろう」「まだ来ないから」という思い込み。2日前の地震による津波が20cmに留まったという経験。
生き残った人達が、大津波を予期して適切な避難をしていたかと言えば、そうとも言い切れません。
三鉄社員さんが生き残ったのは、たまたま地震発生時に高台に居たから。
「何故自分は生かされたのか」鬱々と悩む日が続いたそうです。
大船渡ガイドさんは発生直後には避難せず、周囲の騒ぎで津波に気付いて辛くも逃げ切りました。
「まだ遺体があるから」と周囲に止められ、瓦礫を乗り越え自宅のあった場所に辿り着いたのは2週間後でした。


親戚が波に呑まれた話、今まさに呑まれようとする市民の写真。
そんなものが朴訥と、あるいは軽口の狭間からぽんぽんと飛び出してきます。
生と死は隣り合わせ。そんな冷酷な現実を、否も応もなく突きつけられた人達です。


何故生かされ、どう生きるか。
お二人がその経験を「語る」事は、その一つの答えなのでしょう。
言葉が、振る舞いが、その一つ一つの"背後"がとても重く、身に染みました。