語り継ぐ

今日ほど重大ニュースが目白押しだった日も珍しいと思いますが、その影で(在京TVの扱い的には)ひっそりと、あの震災から11年が経過しました。
 
お昼のNHKでは小中学生が防災訓練に励む姿や、大人の震災体験に耳を傾ける姿が報道されました。
彼らにはあの地震の記憶は殆ど(あるいは全く)無いわけで、震災ももはや、語り継いで行く事を考えなくてはならない時代になったのだなあと痛感しました。
 
毎年のように書いていますが、この日が来るたびに高校時代の友人の事を思い出します。
神戸に進学した彼のアパートはあの日、「はっきりと平行四辺形と分かるくらい」にひしゃげたそうです。友人のマンションに避難した後、阪急電車復旧の知らせを受けて西宮まで歩き、まさしく命からがら帰京してきた彼は、その頃静岡に下宿していた僕のもとへ葉書をよこしました。
 
「久しぶりに富士山を見てほっとした」
 
あまりに実直な、そして万感の思いが込められていたであろうその感想に、正直どう反応していいのか困った事を覚えています。
 
11年という歳月は、いつの間にか僕達を疎遠にしてしまいました。音信不通の状態が、実はもう随分と続いています。
わざわざ実家に電話するのもアレだし、便りが無いのは元気な証拠と信じていますが、そろそろ一度ツラでも拝んでやりたいなあと、この日だけは毎年思います。