詭弁もここまで来ると…

マスコミが公明正大だとは全く思っていない。
多少偏った記事が出ても、大抵は「しょうもない事言ってるなあ…」とスルーすればいいだけの話。
 
だけど今日は、久々に頭に来た。
 
原発の新基準 安全と再稼働の両立を目指せYOMIURI ONLINE・社説)
 
日頃から再稼動をさせたくて仕方がない読売、規制委の厳しい基準案にどう反応するかと思ったらコレである。
 
「これらの対策を一律にではなく、項目や原発ごとに柔軟に適用するよう求めたい。」
「猶予期間を設けることを検討してもらいたい。」
廃炉を選択する電力会社も出てくるかもしれない。」
「今回の骨子案は、少数の専門家と規制委事務局でまとめた。」
「規制は合理的かつ効率的であるべきだ。」
 
逃げの一手。何が何でも動かしたい、というもはや悪意さえ感じる。
 
自分は原発に対して優柔不断な態度をずっと取っているが、専門家のシビアな分析は尊重したいと思っている。
この基準じゃ動かせない、そんな原発は動かさなければ良いだけの話。
社説自身が冒頭で書いたように、「安全基準は稼働の是非を判断するためのもの」。
そのうえで読売は「新基準を原発を止めておく道具と」するなと言う。
だけど、この社説だと新基準は「原発を再稼動させる道具」となりはしないか。
…というかそれが望みだよな。そもそもタイトルにそう書いてあるじゃん。
 
来るかどうかも分からない大災害や過酷事故に全て備えるのは無駄。割り切りも必要。
そう言いたいのだろうけど、まさにその結果がフクシマなわけで。
じゃあアレか、フクシマは諦めろと。
国富の流出防止だか何だかのためには、事故はたまーに起きても仕方がないと。
なんだ、そうならそうとはっきり書けば良いのに。
 
理想と現実の狭間、とでも書くと格好良いですが、とんでもない。
こんな社説は、欺瞞と怠惰以外の何物でもありません。