2年

もう2年も経ってしまった、という事実とどう向き合えばよいのやら。
無常にも記憶と感覚は薄れ、後には「現実」と言う名の焦燥と妥協だけが残る。
1mSvがどうとか何とか…殊に政権交代後、易きに易きに流れようとしている気がしてなりません。
 
とは言え、現実に光を見出せない人達に、遠い遠い理想だけを見よと言い放つ事もまた非情。
震災の「風化」を大きく取りあげた今日のニュース、被災者の言葉に鋭く突き刺さるものがありました。
 
「我々にとって、2年で風化など考えられない」
 
現実と理想の落差、被災者と部外者の落差。どうしたらいいのでしょう。
もどかしいです(…とふわっと書いて結局また逃げてるわけだ自分は)。
 
人が誰しも利己的で自分中心であるならば、自分は自分のために震災を記憶したい。
震源域の最南端での最大余震、首都直下地震
どちらも現実にありうる(というか、確実にある)事で、自らの生命は実の所崖っぷちです。
備えるべき事を備えておく。そしてもう一つ、今を大切にしたい。
東北を思えば酷な程幸福な自分の現状を、だからこそ慈しみ、育みたい。
そう痛感した震災忌でした。