一つの時代が終わる。ようやく、終わる。

デビュー、1968年11月20日。車齢実に46年3ヶ月。
東大手私鉄屈指の古豪、京成3300形がついに引退しました。初代3000形(1958年〜91年)から続く、赤電の系譜の終幕です。


最終日の運行は上野から成田までの8連臨時特急。宗吾参道からの送り込み回送も含め撮ってきました。



上りは非営業なのでヘッドマークは未表示。それはともかく、運転台下の青い看板は一体何だろう…?



成田側のヘッドマークはわざわざ「回送」を表示。片道1本のために、凝りに凝っています。


自宅の近所まで戻り、家族総出で特急をお見送り。
津田沼で鉄道用地内に三脚ごとカメラを持ち込んだ馬鹿が居たとかで、通過は8分ほど遅れ。
そんな混乱とはまるで無縁で、ファンと子供と近隣住民10数名での和やかな電車ウォッチでした。



最上の場所には先客。せっかくの8連のお尻が入らなかったけど致し方なし。



青看板の正体は惜別の涙。ちょっとお茶目です。


僕が京成沿線に引っ越したのは成田スカイアクセス開通前夜の頃。当時3300形は4連運用のヌシで、3500形より余程目立っていました。
特に高砂分断後の金町線は、来る日も来る日も3300形の2本運用で、沿線の昭和イメージを殊更かき立てる存在でした。
ラッピング車やリバイバルカラーが続々登場し、ノーマルカラーの車を探す方が難しい、そんな時期もありました。
完全な憶測ですが、京成側は多分リバイバルカラー車の検査切れと同時に全廃を目論んでいたのだと思います。震災さえなければ…。
皮肉な事に、最後まで残ったのは通常色の2編成。沿線が騒がしくなったのは今月に入ってから。それまでは黙々と通勤輸送に勤しむ日々でした。


よくぞここまで生き永らえたもの。天晴れかな、天晴れかな。
お疲れさま、とポンと肩を叩いてやりたい気分です。あ、でもそれ触車事故だ(汗)。



それにしても、3300形と関係ない写真の出来が一番マシだったって、微妙にへこみます(苦笑)。