猛暑ここに極まれり

70年談話を読むにつけ、日本語って奥が深いなあと感心することしきりです(割とほめている)。


さてそれはともかくとして、近所のスーパーにて。
状態の悪い生鮮品は悪いとはっきり書いてしまう正直さに好感を持っているお店ですが、これはどうだろう。



単純に怖いです。

事態は常に動いている。

三陸紀行を1週間以上かけて書いて間に状況が変化しました。


<鉄路復旧断念>JR東、BRTでの復旧提案河北新報


結論は出てしまいました。
仙台への高速輸送手段が奪われる気仙沼市のみが難色を示していますが、直行便設定や三陸道整備等による対応は可能でしょう。


BRTの整備は鉄道の復旧と別物。
現地で見た感覚としてはそうなのですが、現実を見据えれば妥当な判断としか言いようがありません。
願わくば現在の手厚い輸送体系が、将来にわたってきっちりと維持されますように。
そこを見守る事もまた、被災地に関心を持ち続けるという事でもあります。

三陸紀行-2

大船渡郊外のホテルに1泊。翌日は個人行動でした。



ホテルの部屋より。あまりにも静かで、美しい海。
津波さえ来なければね、大船渡は本当にいい所なんです。」というガイドさんの話が思い出されます。



同僚の車で大船渡線細浦駅へ。この付近はBRT専用道が整備されています。
鉄道時代の細浦駅は画面奥。築堤上のホームの石積みの他は、何も残っていません。


気仙沼行BRTに乗車、2駅ほど専用道を進んだ後、ぷいと田舎道に逸れて坂を上り始めます。
どうやら山の上から陸前高田へと乗り入れる様子。仮設の病院や市役所を通り過ぎると、平野部へ下りていきます。



そこは一面の砂の大地。道路の両側にはかさ上げされた土砂がうずたかく、そして整然と積み上げられています。
中心市街地に甚大な被害を受けた高田の町。
津波の痕跡も、そこにあったはずの営みも、何もかもがTP11mの高さに積み上げた土砂の下に埋もれようとしています。
あまりに圧倒的かつ、無慈悲な光景。だがしかし、全てを埋めない限りこの町の再生は一歩も進みません。


壮絶な車窓と裏腹に、前列の女子高生は登場人物がダルマに容赦なく虐殺されまくるというどうしようもない漫画を熟読。
(だって見えちゃったんだもん。)
ここで読む漫画かよ!と思いましたが、それもまた日々の生活がそこにある証左ではありました。


最後の1駅のみ専用道に戻って気仙沼着。乗客数は右肩上がりで、座席がほぼ埋まる盛況に。
地元住民の足として、早くも定着した様子がうかがえました。


気仙沼駅は一ノ関方面のみ鉄道で、大船渡方面・柳津方面はBRTという混合状態。
大船渡線BRTは毎時1本、気仙沼線BRTに至っては2本という高頻度運転に対し、鉄道は1日10本。
「ほらほらっ、BRTにすればこんなに便利ですよ!」とJRが熱弁しているような気がします。


気仙沼線BRTに乗り継ぎ、さらに海岸を南下。大船渡線に比べると観光客率が高めでした。
特に本数が半減する本吉以南はほぼ全員観光客。この辺りまで来ると、遠出(仙台まで)は車、という事になるのでしょうか。


気仙沼線に"乗る"のは2008年以来。海を近く遠く見下ろす風光明媚な路線でした。
歌津駅/2008年)


歌津駅周辺/現在)
なぜか改造車が集結していました。何のイベントだったのだろう。


志津川駅ホーム/2008年)


志津川駅前/現在)
宮脇俊三「時刻表2万キロ」に記された、開業時の熱狂が思い起こされます。


次の陸前戸倉から内陸へ。柳津からは鉄道が復旧していますが、本数が少ないため、石巻線と接続する前谷地まで走ります。
(ただし、乗車した便は柳津から鉄道利用でも接続は変わらず。)
気仙沼から前谷地まで、全線乗り通しで所要は2時間半。さすがに長かったです(被災前は快速列車で1時間10分)。


さて、このBRTを将来どうするのか。
現在のBRTのルートは、大雑把な印象で専用道3割、一般道7割と言った所。まずは全て専用道に…という必要は正直薄いです。
被害が酷い所ほど、町は高台に一から作り直しです。もはや高田市街地では、線路の痕跡を探す術さえありません。
志津川付近では一般道に降りて役場へ寄る方が便利なため、せっかく整備した専用道は早朝深夜以外活用されていません。
道路交通量の多い市街地ほど、マメなルート設定ができるBRTの利点を生かして一般道に降りた方が良いという矛盾。
新たに専用道を整備して利便性が上がりそうなのは、峠越えの陸前戸倉〜柳津間くらいだったように思えます。
もっとも、ここを復旧させるなら柳津止まりの鉄路を延ばすべきです、本来は。


そうなると、BRTは現状でもとりあえず地域交通の利便性を確保できているという現実が浮かび上がります。
距離の短い大船渡線はともかく、気仙沼線の全線利用はきついものがありますが、高速バス等での代替も可能でしょう。
いっそこのままでも…という思考が頭をよぎりますが、一緒に三陸へ来た同僚が鋭い発言をしていました。


「でもバスならば、やめるのも簡単ですよね。」


そう、鉄道とバスでは、廃止に要するエネルギーがまるで違います。
全国的にも注目されている今は、大増便もするし、観光客向けの車両も次々に投入する。
でもそのうちに本数は削減され、いつの間にか鉄道時代と変わらぬ閑散ダイヤになり、専用道は使われなくなって…。
10年経ったら自治体運営のデマンドタクシーに成り果てていた。そんな事態が起こらないとも限りません。


そしてあえてマニア思考で言わせてもらうならば、やはりこれは鉄道ではありません。
昨日盛駅で三鉄と並んだ時からずっと拭えない違和感。
車内放送のテープは、「BRTの直前直後の横断は…」などと「BRT」という単語を頻発させていました。
「これはバスではありません、BRTという未来の乗り物なのですよ」と喧伝している訳ですが、でもこれやっぱりバスです。
線路が敷かれ列車が走らなければ復旧ではない、復興ではない。
マニアだけでなく、多くの地元関係者がそんな思いを抱いているのではないでしょうか。


理念と実益、費用対効果、どこを伸ばして何を断ち切るか。
復興のみならず、この国の地域交通のあり方にさえも一石を投じる、そんな乗り物でした。


前谷地から石巻へ出て、5月に開通したばかりの仙石東北ラインに乗車。
…と思いきや遅い昼食をとった焼きそば店がオーダー間違いをして見事に乗り遅れ。
先発する仙石線の各駅停車でとりあえず野蒜まで進む事にしました。



仙石線復旧に合わせ、野蒜駅は高台へ移転。しかし街づくりはこれから。山を削り谷を埋める大工事中です。
以前のダイヤを踏襲し快速(仙石東北ライン)が停車しますが、沿線人口はゼロ。



新駅からは旧駅を見通すことが出来ます。
駅舎は再整備されコンビニが入居していますが、ホームは被災時のまま駅名標もひしゃげているとか。
野蒜には23年前に降り立ったことがありますが、駅前から海が見渡せた記憶はありません。


駅前を一巡りして、予定より1時間遅い仙石東北ラインに初乗り。
東北本線との接続線はわずか数百メートルで、あっという間に通過…するはずがよりによって接続線上で防護発報受信。
松島付近の踏切に人立入とかで、運転再開まで6分も新線を満喫するという妙なオマケが付きました。


新幹線から見下ろす仙台の街には、震災の痕跡を見つける事は困難でした。
一寝入りすれば、もう東京です。いつも通りの、東京。


何故復興は進まず、何が足りていないのか。今、何が求められているのか。
「人手不足で工事が進まないのです。内陸部や東京に出た人が帰って来ず、オリンピックがそれに拍車をかけてしまいました。
 やっと有資格者を見つけても、実務経験のないペーパドライバーでその教育にまた時間を取られ…。」
「見ての通り、物はあるのです。今我々が一番思うのは、"忘れられるのではないか"という恐怖感です。」


三鉄や大船渡で聞いた、生の声が蘇ります。
日々の生活の中で薄れゆく、あるいは忘れようとする震災の記憶。
東北は前に進もうとしています。でもその歩みには多くの困難が伴う事を、現地の光景はまざまざと示してくれました。
離れて暮らす我々は決してその苦難を忘れてはなりません。東北の為に、そして自らの為に。


三鉄社員さんとガイドさんは様々な事を語って下さいましたが、一つ、ぴったり合致した言葉がありました。
津波が来る時、遠くに逃げようと思うな。高い所へ逃げなさい。」
多くの犠牲と引き換えに得た、警鐘です。

三陸紀行-1

会社内で「三陸鉄道の震災学習列車に乗ろう」という企画が出て、参加してきました。
帰ってきた後、あちこちから「存分に飲んだか?」と言われましたが、至極大真面目な、重たい旅でした。
いや、まあ飲むは飲みましたけどね。



南リアス線釜石駅に停車中の学習列車(先頭車両のみ)。いまや震災学習列車は、三鉄最大のヒット企画だそうです。
釜石駅は市街より一段高い所に立地していますが、津波が到達。車両流失こそ免れましたが3両が走行不能に。
4両がクウェートの支援により新造され、車体には感謝のメッセージが記されていました。
現地では「がんばろう」より「ありがとう」の文字を随分見かけました。自分、何もしてないよ…。



社員の方のお話を拝聴しつつ列車はゆっくり南下。入江(写真のさらに右)を望む三陸駅ホームにて黙祷。
左側にすっと立つポプラの木は、津波に耐え今も生きています。落葉樹は比較的塩害に強いのだとか。



綾里駅の観光案内板。海側の施設だけ綺麗に消されています。他の駅も同様でした。



高台には、復興住宅。トンネルの合間にリアス式海岸を見下ろす三鉄では、時に線路の両側で残酷なほど車窓が一変します。


三鉄の復旧費用は当初180億円と見込まれ、三鉄にその4分の1の負担が求められました。
その話を聞いた時、社員さんは「あ、国は三鉄を見捨てたんだな」と悟ったそうです。
しかし何としても復旧させるという岩手県の強い意志によりこの春、三鉄は自己負担ゼロで全線復旧を果たしました。
最終的な費用はほぼ半減の92億。青森駐屯の自衛隊が軌道内瓦礫の撤去作戦を敢行した事が大きかったそうです。



淡々とした社員さんの語りに耳を傾けるうち、あっという間に盛終着。JR大船渡線(盛〜気仙沼)はBRTによる仮復旧です。
今後の街作りを考えれば、自在にルート設定ができるBRTのままでも…と思っていましたが、現地に立つとまた違った気分に。
鉄道駅の構内にバスが乗り入れている違和感。隣の三鉄(そのまた隣の岩手開発鉄道)との歴然とした差。
理屈でも経済でもなく、復興のシンボルとして鉄路を復活させてほしい。そんな意見も分かる気がします。


大船渡線BRTは、盛を出ると線路敷を再整備した専用道路を走行。名古屋のガイドウェイバスとは異なり、鉄道信号はありません。
踏切には警報機が付いてますが、遮断機はBRT側に降りており、一旦停止後ゆっくりと通過します。
しばらく進むと専用道路はぷつりと切れ、海側の一般道へ。そのまま大船渡に到着し下車。
ここも"駅"と称してますが、道路上の普通のバス停とほとんど変わらぬたたずまいです。


本物の大船渡駅は現在どうなっているかと言えば…

更地。


大船渡ではガイドさんに来て頂き、かさ上げ工事の進む駅周辺を歩きました。
仮設商店街もいくつか建っていましたが、率直に言ってお客さんの入りは…。
店を流された商店主さんにとっては大切な店ですが、既に国道沿いには真新しい店舗が並んでいます。
釜石では港の岸壁に、巨大なイオンモールがオープンしていました。


家や店を流された人、流されなかった人、建て直せた人、それぞれにそれぞれの生活ペースがあります。
その落差と言うか、格差は、今後ますます大きな課題となっていくような気がします。


ガイドさんに連れられて高台の神社へ。

見覚えのある光景。あの日の夜、NHKニュースで流れた押し流される街の映像は、ここで撮ったものでした。
すぐ下に通じる道は国道45号。過去の経験から大船渡の人たちは「JR線を越えて波が来る事はあり得ない」と信じていたそうです。
しかし津波はJRを易々と超え、渋滞していた国道を呑み込みました。


三陸に暮らす人々は、津波の恐ろしさを理解していたはずです。それでも多くの命が失われました。
「ここまでは来ないだろう」「まだ来ないから」という思い込み。2日前の地震による津波が20cmに留まったという経験。
生き残った人達が、大津波を予期して適切な避難をしていたかと言えば、そうとも言い切れません。
三鉄社員さんが生き残ったのは、たまたま地震発生時に高台に居たから。
「何故自分は生かされたのか」鬱々と悩む日が続いたそうです。
大船渡ガイドさんは発生直後には避難せず、周囲の騒ぎで津波に気付いて辛くも逃げ切りました。
「まだ遺体があるから」と周囲に止められ、瓦礫を乗り越え自宅のあった場所に辿り着いたのは2週間後でした。


親戚が波に呑まれた話、今まさに呑まれようとする市民の写真。
そんなものが朴訥と、あるいは軽口の狭間からぽんぽんと飛び出してきます。
生と死は隣り合わせ。そんな冷酷な現実を、否も応もなく突きつけられた人達です。


何故生かされ、どう生きるか。
お二人がその経験を「語る」事は、その一つの答えなのでしょう。
言葉が、振る舞いが、その一つ一つの"背後"がとても重く、身に染みました。

馬鹿丸出し

日曜日になると、相方が熱心に求人広告を眺めております。
本日の折込は「ママ活躍中のおシゴト特集」。
とは言え、託児所完備だのシッター常駐だのといった求人が並ぶ訳ではなく、女性採用求人を体よく集めただけ。
世の中甘くはないというか、広告掲載基準が甘いというか(苦笑)。


さて、そんな広告に、他社の4倍のスペースを割いて某大手路線バス会社の求人が。
バスの運転手が時給制ってどうなんだ、というツッコミは一応自重しましょう。問題はそこじゃなくて。


***
現在、約30名の女性運転士が活躍していますが、会社が私たちの
要望を受け入れてくれることに感謝しています。実際に女性用ベッドや
女性用トイレが導入され、環境面でとても働きやすくなりました。
***


えっと、それはつまり、このバス会社、女性用トイレの(下手したら宿泊室も)無い状態で女性を採用したって事?
で、現場から不満が上がってから、やっとトイレ設置したって事?


馬鹿じゃないの?


あまりの事態に開いた口がふさがりません。しかし、そんな事も時にはあるでしょう。
景気の謎の好転で採用は売り手市場だし、ブラック企業が問題化する昨今、過度の時間外労働でシフトを埋めるわけにもいかない。
設備の不足は百も承知だけど、兎にも角にも人が足りない、そんな切迫した状況だったのかもしれません。


問題はトイレを後付けした事ではありません。いやそこも本当は問題だけど。
より重症なのは、トイレ後付けが対外的にアピールポイントになると思って堂々と広告に載せてしまったこの会社の神経です。


馬鹿じゃないの?
大切な事なので2度言いました。なんなら、3度言っても構いません。馬鹿じゃないの?


女性を差別するどころか、女性とすら認識していない(いなかった)会社だと世間に広く開陳するなんて…。
戦時中を別とすれば徹底した男社会だった、運輸業界らしいピントのズレ。
でも、21世紀も15年経とうかというこのご時世ですよ。もはや笑いものです。


願わくばこんな頓珍漢はこのグループだけで、業界全体はもうちょっとマトモでありますように。
いや、それはそれで問題か(爆)。

縄張り

「鳥居坂46」結成へ 8・21メンバー決定 乃木坂のライバル?スポニチアネックス)


乃木坂でもマイナーな地名なのに、地下鉄の駅すらない鳥居坂って…。
坂なら何でもOK、ならばいっそ無言坂でも芋洗坂でもサカス坂でも(笑)。


…とツッコミどころはそこではなくて。


鳥居坂って、ビーイングの事務所が立地しているんですよね。
坂井泉水さんが亡くなって以降、鳥居坂ビルには幾度か献花台が設けられてきました。
六本木駅から、またある時は麻布十番駅から、小さな花束と悲痛な思いを抱えて、あの坂を目指したものです。


「負けないで」を音楽教科書で知ったような世代にあの地を荒らされたくはありません。
オッサン臭く、かつ無茶な言い分ではありますが、書かずにはおれませんでした。